こころふ日記 ~公認心理師が子育てや心理学のことなどを語るブログ~

公認心理師のこころふが、子育てや心理学のことなど気ままに書くブログです。

「名もなき家事」と「名もなき育児」|夫婦仲を守るために共有すべき考え方

 

こんばんは。 

2児の父であり、長期育休中のこころふです。 

 

 

少し前に、「名もなき家事」なる言葉が流行りましたよね。 

 

私は半年前くらいに関連本を読んだことがあったのですが、 

「なるほど!」と感心してしまいました。 

 

なぜなら、 

まさに私が「名もなき家事」に 

鈍感な人間の一人だったからです。 

 

 

もともと、家事は苦手だったのですが、 

それでも結婚し、子どもができ、妻に負担をかけないよう、 

やれることはやろうと、それなりにやっていたつもりでした。 

自分では…。 

 

半々とはいかないまでも、 

4:6くらいで家事はやってたつもりだったのです。 

 

しかし・・・ 

 

あるとき妻に聞いてみたところ、 

「あなたは大して家事をやってくれないけど、 

 仕事で大変そうだったから文句は言わずにいた」 

みたいなことを言われたんですね。 

 

これはそうとうショックでした・・・。 

 

妻からすると、まったく及第点ではなかったのです。 

それどころか、 

言わなかっただけで、本当はかなりストレスを感じていたようなのです。 

 

それからというもの、 

少しずつできることを増やしていこうと心がけてきたのですが、 

そんな折、ふいに本屋で手にとったのが、 

『やってもやっても終わらない名もなき家事 名前をつけたらその多さに驚いた』 

(著者はコピーライターの梅田悟司さん)という本でした。 

 

 

「名もなき家事」とは 

 

家事というと、料理、掃除、洗濯、買い物といった、 

主要なところがまずイメージされると思います。 

 

私も、例えば、「食器洗い」などの分かりやすい家事は、 

それなりに積極的にやっていました。 

 

ただ、私がやっていたのは、 

文字通りの「食器を洗う」という行為、 

それから「洗った食器を水切りかごに置く」というところまでだったのです。 

 

かごに置かれた食器はどうなるか。 

 

まさか自動的に食器棚に戻るわけもありません。 

当然、毎回妻が戻してくれていたのです。 

 

こういう、はっきり名前をつけられない家事、 

それが「名もなき家事」なのです。 

 

本書は、 

そういった名もなき家事に名前をつける、というコンセプトで書かれています。 

 

ほどの食器を棚にもどす家事は、 

「リ・ポジショニング」という名前がつけられていました。 

 

これを知ったとき、 

私は頭をコツーンと殴られたような感覚でした。 

 

「そうか、食器を戻すのも家事の一つだったんだ!!」 

と。 

 

バカみたいな話ですが、本当なのです。 

 

妻がやってくれていたのを認識していなかったわけじゃありません 

というか、この目で実際に何度も見ていました 

 

ただそれを「家事」ひとつと認識していなかったというかなんというか。 

うまく言い表しづらいですが・・・。 

 

要は他人事だったんですよね。 

「自分は皿洗ったからいいでしょ」的な感じです。 

 

こうやっていざ文章に起こしてみると、ひどいね。 

書いてていやになりました(;^ω^) 

 

これは氷山の一角にすぎず、 

私がちゃんと「家事」と認識していなかった「名もなき家事」は 

他にもたくさんあったことでしょう。てか、今もあるはず。

 

一つ一つは大したことじゃなくても、

つもりつもると大きな負担になることは、容易に想像できますよね。

 

 

名もなき育児 

 

家庭における役割としては、 

「名もなき育児」と呼べるものもたくさんありそうですね。 

 

パッと思いつくだけでも、 

 

・ねぞうのわるいわが子に布団をかけなおしてあげる 

・汚れた口の周りをふいてあげる 

・出かける前にトイレに行くのをうながす 

・家に帰ってきたあとに手洗いをうながす 

・なかなか食べないわが子にスプーンでご飯をあげる 

 

などなど。 

細かく挙げていったらキリがないかもしれません。 

 

正直、これらも以前はほとんどを妻に任せきりで、 

私はどこか他人事でした。 

 

妻の負担感を想像すると、申し訳ない気持ちになります*1 

 

 

放っておくと危険な認識の違い 

 

おそらく、私のような男性って、 

世の中にはけっこういると思うんですよね。 

 

しかも、タチがわるいのが、 

“自分は家事・育児をちゃんとやれている”と思い込んでしまっていること。 

 

そう思い込んでしまう原因の一端には、 

やはり「名もなき家事・育児」がある気がしてなりません。 

 

“誰かがやらなければいけない”仕事なのに、 

それを「家事・育児」として認識できていない。 

 

だから、「名前のついている家事・育児」をやっただけで満足してしまう。 

“やった感”を持ってしまう。 

 

そして、その“やった感”を出している夫にいらつく妻…。 

 

そんな構図があるような気がします。 

 

こういった現実をお互いが認識して話し合えればいいと思いますが、 

放置しておくと、夫婦間に大きな溝ができてしまう恐れもあるかと思います。 

そうならないようにするにはどうしたらよいのでしょうか? 

 

 

 

家事・育児の負担を平等にするには? 

 

まず考えられるのは、 

「名もなき家事・育児」を片っ端からひたすら書き出して、 

それらを2人で(場合によっては子どもも含めて)分担する。 

 

という方法があります。 

 

これは必ずしも半々に分ける必要はなく、 

例えば一方が残業の多い勤め人だったりすれば、 

そちらの家事分担をへらすとか、話し合って決めることが大事だと思います。 

 

 

これ、たしかに合理的だし、 

「名もなき家事」をお互いが認識できるだけでも意味はあると思うのですが、 

個人的に、これうまくいくかな~という疑問もあります。 

 

なぜなら、今まで主要な名前アリの家事・育児しかやってこなかった人が、 

そう簡単に受け入れられるかな~と。 

下手したらケンカになってしまうのではないか、と。

 

私だったら受け入れられたかどうか…正直ちょっと自信ないです(;^ω^) 

 

 

主体性をもって家事・育児にとりくむ! 

 

私が一番いいと思うのは、 

男性の方も一度主体性をもって、家事・育児に取り組んでみるということです。 

 

よく、「家事・育児を“手伝う”」というのはNGワードと言われますよね。 

「いや、お互いの仕事やろがい!“手伝う”ってなんじゃ!!」と。 

 

“手伝う”という受け身的な姿勢ではなく、 

主体的に取り組むことで、 

「名もなき家事・育児」の存在、大変さに

自分で気づくことが大切だと思うのです。

 

そしてそのための具体的な方法はというと、 

そう! 

男性側が育休をとってみるということです! 

 

私も、育休をとり、自分が家事・育児の主体となったことで、 

初めてそれに気づけたと感じています。 

 

まぁ育休とったところで結局ただ休んでいるだけ、 

という例も聞くので、 

一概には言えませんが。 

 

私の場合は、妻がもうフルタイムで勤め出しているので、 

やらざるを得ないという(笑) 

 

 

おわりに 

 

いろいろ書きましたが、 

結局のところ、夫婦間で納得できていればどんなやり方でもいいんですよね。 

これが正解というのはありません。 

 

でも、個人的に 

この「名もなき家事・育児」という発想には、 

かなりハッとさせられました。 

 

夫婦間でこの考えを共有することで、 

いい方向に向かう家庭も多くあるのではと思います。 

 

私も、おそらく今も気づけていない「名もなき家事・育児」があるのでしょうが、 

アンテナを張りながら、 

妻からの評価を少しでも上げられるよう努力したいと思います。

 

わが家の平和のために(笑) 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

少しでも参考になったとしたら幸いです(^^)

*1:+_+